【アナザースカイ】起業家|前田裕二の原点は『走馬灯プレイス』

TV番組情報

2021年2月5日に放送されました「アナザースカイ」。

若きカリスマ経営者、前田裕二(33歳)の半生をたどりました。

愛情の原点、走馬灯プレイスをたどる。

番組では、前田裕二さんが母が亡くなる小2の途中まで住んでいた東京都北区上中里の街を、当時の思い出とともにたどっていきました。

母の自転車の後ろに乗って幼稚園に通っていた坂道。

光明院幼稚園。

ふらりと立ち寄ってみると、

前田さんが通っていた当時も勤めていらした保育士さんが前田さんに気づきました。

そして園長先生は、前田さんのことを覚えていました。

「あそこでよく泥団子作っていたでしょう。」

「この安っぽいハーモニカ、昔も同じ物だったでしょう。」

「縄跳び、園で配っていたのですか?すごく大事にしていたのを覚えています。」

「名札の形も変わっていない。」

など。

まだ幼いころの記憶がよくこんなにも残っているものだ。

園長先生もよく覚えているーー。

そして、街を歩き進めると、自転車に乗る練習をした場所や、ワクワクが詰まっていたという建物など。

本当に細かいところまでよく覚えている。

「きっと、あの頃、めっちゃ幸せだったから。」

「だから、この町のことは隅々まで記憶していた。」

亡き母と、最期に出掛けたのは、聖学院の文化祭。

お土産にもらえる下敷きや定規を、帰りがけに開けて喜んでいた前田少年。

それを見て、母はもう一度聖学院に引き返し、もうひとつもらってくれた。

とてもとても大事な思い出。

記憶の中に残る母は、めちゃくちゃ愛情深い人。

下敷きを2つもらうなんて、普通なら図々しいと恥ずかしいことのはずなのに、子供が喜ぶのならともらいに戻ってくれる母。

風邪をひいたら、布団に入ってきて自分にうつそうとしたり。

前田は言う。

「ありったけ注いでくれた愛を、一生かけて皆に還元する。

それこそが母への最大の恩返しになると信じて。

愛の眠る街みたいなものが、誰にでもあるのではないでしょうか?

自分自身に誰かが無償の愛を注いでくれた場所を確認できる場所。

そういう場所を大事にしたい。

死ぬ間際は走馬灯のように大事な記憶がよみがえってくるという。

走馬灯がどこだろうって書き出したとき、走馬灯プレイスがあって、走馬灯プレイスに紐づく思い出がある。

走馬灯プレイスの数だけ、恩人がいる。

自分を担いでよかったと、恩人たちみんなが思ってくれるように、恩返ししたい。」

前田裕二を作った人々。人を惹きつける前田の魅力は幼少時から。

前田裕二といえば、「メモの人」。

あらゆる機微をメモに残す。

メモにハマるきっかけとなった場所は、転校した学校にあった。

校庭の片隅。メモをとる前田少年に、ある先生が声をかける。

「あなたのメモ、すごく面白いのよ。」

「メモ書きが丁寧なのよ。」

「字がキレイで。」

その先生の名は、吉野先生。

恩師だ。

先生が、このように声掛けしているところを、友達が囲む。

皆が感嘆する。

この出来事があるまで、前田はメモ書きすることが恥ずかしいと思っていた。

しかし、先生が褒めてくれたことで、メモ書きにもっとハマるようになる。

そのころ、親戚の家でお世話になっていた前田少年だったが、早く自分で稼げるようになりたいと、小学生ながら弾き語りをして日銭を稼いでいた。

運命を努力で覆そうと必死でもがく。

中学校のマリコ先生は人格を学ばせてくれた。

高校では、英語のディベートを教えてくれた先生がいた。

兄の自慢になりたくて早稲田大学の政経に入った。

兄は医者になりたかったのに、自分のために医者になるための勉強を犠牲にして自分を大学に行かせてくれた。

大学に入ると、いくつもアルバイトをして学費を工面していたので貪欲に学んだ。

アルバイト先の恩人。

社労士の関根さんには、外資金融の世界を教えてもらった。

外資金融の中でも、絶対、株が面白いと。

株は夢の塊と。

そして世の中のビジネスモデルを研究するのが面白くなり、起業するに至った。

関根さんいわく、「前田は担ぎたくなる人間。本当に謙虚な人間だから。」

前出の園長先生も、「子供のころから人が集まる人だった。子供でも人望がないと集まらない。」

起業家、前田裕二は、母からはもちろん、たくさんの人々の愛情を受けた人でありました。

成功の秘訣というか、もとをたどれば幼児期に受け取った無償の愛が、今の彼を作った原点となったようです。

前田裕二の経歴|そのとき、何を思っていた?

2010年 早稲田大学を卒業後、外資金融UBSに入社。

2011年 ニューヨーク赴任

2013年 帰国後、UBSを退社。

2015年 SHOWROOMを設立

2017年 動画配信アプリで収益国内1位に。

2020年 新たな挑戦をスタート。『smash.』スマートフォンに特化した縦型の短尺シアターアプリ。

前田さんは、UBSに入社時、「ここで一番になるぞ!」。退社時は「起業して成功するぞ!」と、野心の塊だったそうです。

そして、今、新しく『smash.』をスタートさせ、まずは日本全国を攻め、次にアジア全体を攻め、さらに北米含め世界へと攻めていきたいと考えているとのこと!

まとめ

見た目はほんわりとしていて、ガツガツ感は全く見えない青年。

しかし、今回の半生をみて、本当に芯のある人は、こんな風に穏やかなんだなということが分かりました。

そしてなにより愛情深い。

人から受け取った「情」にしっかり気づき、忘れることなく、恩返しするためのパワーにして行ける人なんだな、と。

この「気づいて、忘れないこと」って実は難しい。

人は、人から助けてもらったとき、その時は「ありがとう!」って思うのだけれど、いつの間にか忘れてしまう。悲しいことに。

前田さんは記憶力が抜群だからって片づけるのは簡単だけど、その記憶力だってこれまでの半生に並々ならぬ努力で培われたもの。

メモを取ることだって、よっぽど書くことが好きじゃないと習慣づけることはできない。

そうして物心つくかどうかの頃から、必死に生きていた人の賜物として、この「知性」と、「人の恩を大事にする心」で、皆が応援したくなる存在ができあがっているのだなぁと。

すごくすごく大事なことを学ばせていただきました。

自分も初心に戻って、自分の周りの世界観を見つめなおしたいと思います。

最後まで読んでいただき本当にありがとうございました。


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